創作活動−小説や絵画、漫画、作詞作曲などの、特に初心者における最大の障害とは何だろうか?
知識や技術?否。今日、ネットで検索するだけで初心者向けの情報くらいならすぐに手に入る。
また技術なんかは、続けていく内に身につくものだ。
才能?これも否だ。少なくともある程度までは、勉強と練習でそれなりのものが作れるようになるはずだ。才能の有無で悩むのはその先の話だと思う。
私が思うに、敵は「羞恥心」である。
物語にしても歌詞にしても、自分で作り出したそれは紛れもなく自分の内面や願望、さらに言ってしまえば性癖なんかを多分に反映したものになるはずだ。
それを改めて文字に起こしたり形にすることで客観視できるようになるわけだから、恥ずかしく感じるのもまあ当然といえば当然なのだが。
もちろん個人差はあって、よく言えば自信がある人、悪く言えば自分に酔ってるタイプの人には縁のない悩みである。
しかしこの問題、気にする人にとっては思いもよらない難題となる。
私が作曲を始めたばかりの頃の話。
当時ハマっていたNIGHTMAREやポルノグラフィティ、悔しくも逝去されたボカロPのwowaka氏らの歌ものの曲に憧れて、拙いながらも数曲のデモを作った。
しかしまあ一向に作詞が進まない。
もちろん技術や経験不足もあった。それは間違いない。
しかしそれ以上に足を引っ張ったのが、「歌詞を書くなんて、カッコつけたイタい人みたいだ」という偏見だった。
自分の言葉を紡ぐという作業が、なにかとても恥ずかしいことのように思えてしまった。
今考えれば随分と失礼な話だ。世の中には作詞している人なんて五万といるというのに。
それでも尚、じっくり時間をかけて四苦八苦しながら歌詞をつけていくと、一曲分仕上がる毎に少しずつ“作詞家”としての自信がついてきて恥ずかしさは感じなくなっていった。
この「羞恥心」の攻略方法はというと、まあ単純なものだ。
即ち、「自分の憧れの人や、どんなに素晴らしいものを作る人でも、最初は今の自分と同じ状況だった」という意識を持つこと。これに尽きる。
なんだそんなことか、ありふれた言葉だとガッカリしたことと思う。
しかし今一度よく考えてみてほしい。
共感する人が多いからこそ、ありふれた言葉になるわけだ。
私の憧れたNIGHTMAREのRUKAさんやポルノグラフィティの新藤晴一氏も、作詞を始めたばかりの若かりし頃は同じ壁にぶつかっていたのかもしれないのだ。
誰でも最初は初心者。継続は力なり。諦めたらそこで試合終了ですよ。
圧倒的な多数派に裏打ちされた言葉たちを、今一度素直に受け止め信じることが、クリエイターへの第一歩となるのだと私は思う。